(´・ω・`)まったりいこうぜ

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交通局まるごと見学ツアーに参加してきました

 鹿児島市交通局で実施された「ゆ~ゆ~フェスタ」で、交通局まるごと見学ツアーというものに参加してきたので一部ですが動画にまとめました。

 このツアーの見所としては

  • 整備工場の見学ができる
  • 職員さんの解説付き
  • 質問OK

 という感じでしょうか。後で知りましたが、交通局では予約をすると手の空いた職員さんがいる時間に見学ができるそうです(※1)。もう少し早く知っていたら……ぐぬぬ。新交通局では見学用の通路なども用意されているとのことで、移転したら行ってみようと思います。

 動画で色々と説明を入れていますが、補足説明をブロマガでしようと思います。本当に色々と話を聞けたのですが動画の尺の関係などで省略した部分もありましたから。

 動画でも使いましたが、バスの整備についてです。自分はバスに乗るのが苦手で(路線が分からない……これどうにかして欲しいです)あまり乗らないのですが(´・ω・`)
 交通局には様々なメーカーや車種のバスがあります。これは市営だからこそのようですね。現在交通局には古いものから新しいものまで約120台バスがあります。新規で納入された後、前後はありますが20年近く使うことが多いそうです。一般の車両より長いですね。
 一般車と異なる点として1つは3ヶ月ごとの定期点検があること。上の黒板がそれですね。人を乗せるのでこまめに点検があります。具体的な期間は忘れましたが、全体的に大がかりな点検も数年ごとにするとのことでした。その整備をするのは9名の職員。意外と少なくて驚きました……

 動画中でも触れたタイヤですが、前輪は新品で後輪は再生タイヤを使用しているわけですが、理由がちゃんとあるそうです。
 単純に後輪は片側2輪あるから。一方がパンクしても致命的なことにはならないみたいです。前輪は1輪なので新品を使うということですね。あとはステアリングの関係もあるのだと思いますが、そこは聞けませんでした(´・ω・`)

 場所は変わって整備用の車両たち。年期が入っています。左のレッカー車(ニューパワー)に至ってはナンバーが「鹿」です。漢字一文字だったことは今の子供たちは知らなかったようで驚いていました。そりゃ昭和52年、1977年です。コロコロコミックが創刊され、マイルドセブンが発売された年で、流行歌は津軽海峡・冬景色あずさ2号愛のメモリーだそうです。マジか……
 このニューパワーですが、調べて見ると結構面白いですね。Wikipediaによると

1990年代前半まではかなりの台数が存在したが、排ガス規制や年数の経過によりほとんど廃車となり、ナンバーが付いていて走行可能なのは走行距離が短い地方の消防署に配備されたはしご車や化学消防車などが多い。

 とのことです。これもその一つみたいですね。
 また後ろにレッカー部分があるのですが、こちらは60年前のものを使用しているそうです。もう意味が分からないぐらい長く使われているそうです。そもそもこれらが出動するのは大惨事なので、その出番が無いということはしっかりと整備されていることの裏付けでもありますね。
 しかし来年で廃車になり、新しくなるそうで。この顔が拝めるのもあと少しとなりそうです。

 交通局内で最古となる建物、変電所です。97年前―1917年―に立てられた石造りの建物です。この年は第一次世界大戦が勃発した年です。教科書の中の話なんですが……
 この変電所ですが、第二次世界大戦の戦火から唯一逃れた建物です。つまり交通局最古の建物と言えます(※2)

 現在の交通局敷地は移転後に競売にかけられることになっており、変電所の機能は新交通局へ移ります。この変電所は不要になるわけです。しかし文化財的な価値があるため、武之橋側への移築が決定しています。ただし変電所の機能はなく、建物を保存するということです。移築は石橋と同じように一度全て分解し、再度組み立てをするとのことでした。


 向こうに見える黄色のものがトラバーサー。車両を平行移動させるための装置です。交通局では車両を整備工場に移動させるために使用しています。以前のゆ~ゆ~フェスタの動画でも紹介したことがあります。
 現行のこれは平成3年に導入されたものですが、移転とともに使用されなくなります。というのも新交通局ではトラバーサーをが必要ない構造になっているためだそうで。となるとこれはどうなるのか気になりますが、現在未定だそうです。

 下から覗くコーナー第二弾です。何となくこう、盛り上がりますよね。何とは言いませんが。バスは一方向でしたが、市電はどちらからでも行き来できるのでぞろぞろと入っていきます。足下が非常に悪く、降りるのに一苦労しました。ほぼ飛び降りでした。

 車両の足回りの写真を。
 ユートラムが出た際に言われたのが「運転席が広すぎる」という意見でした。これが鹿児島で初めての低床電車でしたし、確かに今までの車両と比べると運転席が上にあり、しかも広いんですよね。
 その理由が上の写真です。客車部分を低床にするため車輪も動力も全て運転席のある車両に持ってこざるを得なかったのです。またその部分は段差があるため客車にはできない、とのことでした。報道陣からも色々と言われたようですが、今回のように下から見てもらい、納得してもらったとも語られていました。色々と苦労があったようです。今ではユートラムⅡも導入されて市民権は得た感じですよね。

 という感じで一周ぐるっと回ってきたお話の補足でした。
 結構面白いところが見られましたが、来年はもうないのかーと思うとちょっと寂しい時間ではありました。後日別の団体がこうしたツアーの企画を立てていたことをテレビで見まして、いいなーと思っていました。

 これでゆ~ゆ~フェスタ関係の動画や写真の紹介は終了です。
 さて、来年はどうなることでしょうかー。楽しみです。

※1 確実にできるわけではないのと、手の空いた人がいることが前提です。絶対にできるわけではないのと、職員さんたちの善意によるものですので勘違いをなさらないようにしてください。

※2 鹿児島市交通局の前身である 鹿児島電気軌道が運行を始めたのは1912年なので、この時にはすでに変電所として使われていたのではないかと。